フェス主催者インタビュー|松原裕(COMING KOBE主催)

阪神淡路大震災の10年目に立ち上がり、今年で14回目を迎えた入場無料のチャリティーフェス「COMING KOBE」(カミングコーベ)の主催者である松原裕氏と、その松原氏とは旧知の仲であり、大きな影響を受けたと語る関西最大級の無料フェス「ITAMI GREENJAM」主催者・大原智氏の二人が登場。

前編は、「COMING KOBE」を主催する松原裕氏を「ITAMI GREENJAM」主催の大原氏が掘り下げる。後編は、主催者二人によるクロストークをお届け。

INTERVIEW:松原裕(COMING KOBE)
by 大原智(ITAMI GREENJAM)

-まずは自己紹介をお願いします。

株式会社パインフィールズの松原です。「COMING KOBE」を主催しています。

-僕が主催している「ITAMI GREENJAM」は「そんなのやってるんだ」と言われることが多いのですが、「COMING KOBE」もそういうことってあります?関西ではかなり知名度が高いと思うのですが。

例えば神戸市役所の中で知らないという人は少なくなってきたけれど、畑違いの人と話すともちろん知らないってことはよくあるかな。

-なるほど。フェス好きの間でも結構知られた存在ではあると思うのですが、改めて「COMING KOBE」の紹介をしてもらってもいいですか?

それはホームページを見ていただけたら…

-ちゃんと答えて!(笑)

そんな怒らんといてよ(笑)

-そもそものきっかけってなんだったんですか?

「COMING KOBE」の成り立ちを話すと、そもそも阪神淡路大震災が1995年に起きたんだけど、この時中学3年生で、高校受験の真っ最中だったんで、中学校がなくなったことにただただ喜んでいて、ふざけて遊んでて。でも大人になって、すごくそれを悔いるようになって…。「あ、俺このままじゃあかん」て思って、神戸に生まれた以上、何かせなあかんと発起しまして、このイベントを阪神淡路大震災から10年目の2005年に立ち上げたのがきっかけかな。

-阪神淡路大震災から10年目を意識して開催されたんですか?

すごいたまたまで、色んな偶然が重なって。それまで「RUSH BALL」というフェスが神戸で開催されていたんだけど、大阪で開催されることになって。

-2004年まででしたっけ?

そうそう。それで「2005年から神戸にフェスがなくなる、やばいな!」と思って。そのタイミングで、阪神淡路大震災からちょうど10年だから、兵庫県と神戸市で阪神淡路大震災10年事業というので、10年を絡めたイベントをしてくれたら助成金がおりますよという企画が始まって。

-その2つの偶然が重なったんですね。

それなら、もう今しかないと思って、2005年にスタートできた。震災から10年というのもあるから、1回目の会場の国有地である東遊園地での開催が特別に許可されたりだとか、そういうミラクルもあった。

「COMING KOBE」の構想はその前からあったんですよね?ガガガSPのフリーライブが影響しているというのは聞いたことがあります。

ガガガSPが2003年に地元神戸でフリーライブをしたのは、すごく影響を受けてるかな。あの時に、23歳という年齢で、阪神淡路大震災という事件を一旦自分の中で噛み砕いで発言できるってすごいことやなって思って。阪神淡路大震災と向き合う方法の一つとして、こういう音楽イベントというツールもあるんだなって気付かされた。

「GOING」から「COMING」へ

-そういう経緯ではじまって、はじめは「GOING KOBE」という名前でした。そこから「COMING KOBE」に変わったのはなぜだったのですか?イベント名を変えるって相当意味があることだと思うのですが。

最初は、「阪神淡路大震災を風化させない」、「神戸に恩返しを」という2つの趣旨があって、「GOING KOBE」というイベントを5年間やってみた。イベントを進めていく中で、いろんな神戸の先輩の話を聞けば聞くほど、神戸から発信するばかりでなく、神戸に来てもらわないと神戸の魅力は伝わらないし、来てもらうことが神戸にとってプラスになるんやなと思って。だから、「GOING」で発信するのではなくて、「COMING」してもらう方がいいんやなと。

-名前を変えることに抵抗はなかったのですか?

もちろんあった。個人的には「GOING KOBE」の方がかっこいいと思ってるし(笑)。でも大きく変えるチャンスかなというのもあって。もうひとつの理由は、自分が働いていたスタークラブというライブハウスを辞めるというのもあった。1年目と2年目は、スタークラブの従業員的な立ち位置としてとして「GOING KOBE」を立ち上げたんだけど、2007年は完全に独立して、やることになったから名前を変えたって感じかな。

-15年やっていて、「COMING KOBE」が今後目指すことってどういったことですか?

「COMING KOBE」に関しては、街のプラットフォームにしていきたいと思ってる。例えば、いろんなイベントに出展してもらうことで、「COMING KOBE」に来て神戸のイベントを知ってもらったり、その目的を感じてもらったり、気づいてもらったりというきっかけを作りたいなと。

-「COMING KOBE」がきっかけということですね。

そう。だから「COMING KOBE」に来てもらうことがゴールではなくて、来て好きなものを見つけて、それぞれの目的地に行ってもらうというのがイベントとしていいなと。例えばミュージシャンはライブをしたりして収入を得るわけで、無料イベントみたいなものに出れば出るほど収入が減るってこともあると思う。最近は音楽の生態系も変わってきてて多少ずれてくることもあるけれど、当時は物販で補うみたいなこともあっても、正直ギャラの面などでも出演することはデメリットもあったと思うわけで。

-ミュージシャンにとっても「COMING KOBE」がゴールではないと。

そう。このイベントはテレビとかの媒体と一緒です、と。来ている人にファンになってもらって自分たちのライブに引っ張っていってくださいと。それで神戸でいうと、チキンジョージや国際会館埋めてほしい。アメリカの「SXSW」のような、音楽とカンファレンスとかITとかコラボレーションしていくのも1つの目標かなと思っているかな。どうしても音楽イベントにはなってしまっているんだけど、目標としてはそういうところ。

-そういう意識はもともとあったんですか?

1、2年目はとにかく神戸への恩返しっていうのがあって、3年目から独立して自分でやりはじめるようになって、神戸の人たちとの関わりももっと深くなっていった。もっと恩返しがしたいと思ううちに、だんだんミュージシャンのランクも上がっていって、色んなことを考えるようになった。そんなときに全員幸せになるにはどうしたらいいんだろうって。誰かが負担になっているイベントなんて続かない。そこで辿りついたのが、プラットフォームという考え方という感じかな。

COMING KOBEはフェスではない?

-「COMING KOBE」はフェスだと思ってないっていうのも以前話していましたが、今もそうですか?

今でもそう思ってる。

-開催する上で影響を受けたものはありますか?

DIYフェスという感覚や文化祭の延長線上みたいな感覚はあるけれど、文化と文化が入り乱れて全く別物が生まれることってあるじゃない?もちろん「AIR JAM」のようなフェス文化に影響は受けてるけれど、一方では地震のことを調べだして、防災イベントに参加したりして、自然と「COMING KOBE」になったという感じ。フェスをやりたくて、やったんではないかな。言葉がないから「フェス」になっているだけで。

-当時は今ほどフェスという言葉も浸透していませんでしたもんね。

4大フェスとか、関西だと有名なのは「RUSH BALL」とかも入れて、5つとか6つくらいだったかな。

-こうやって話したり、普段から関わってて思うのは、松原さんから「フェス」っていうワードがあまり出てこないですよね。

自分の口から「COMING KOBE」のことをフェスって呼んだことは、基本的にはない。フライヤーにはしょうがなく「チャリティーフェス」とは書いてあるけど。

-何か意図はあるんですか?

Festival Lifeというメディアのインタビューでこんなん言うのはいいのかわからないけど、正直言うと、「フェス」って言葉はダサいと思ってる。みんなすぐフェスやりたがるやん(笑)

-確かにこれってフェス?というイベントは多くなりましたね。

俺からしたら、「SUMMER SONIC」とか「FUJI ROCK FESTIVAL」クラスがフェスやったから、この規模にならないとフェスじゃないと思ってるので、「COMING KOBE」をフェスと言うのはおこがましい。あと、みんなすぐフェスやりたがるから、バンド数がただ多いだけのイベントをフェスって呼んでるのと一緒にされたくないっていうのもあるかなあ。

-フェスメディアやけど、これ載るかなあ(笑)

載せて欲しいなあ(笑)

Photo: shouji miyamae

COMING KOBE


ITAMI GREENJAM’18

フェスな人014 | 大原智 (ITAMI GREENJAM主催)