グリーンルーム代表・釜萢直起氏が振り返る 「GREENROOM FESTIVAL」15年の歴史

今年で15年目を迎える「GREENROOM FESTIVAL」のオーガナイザーであり、GREENROOM CO.代表取締役の釜萢直起氏。過去にも主催者インタビューでフェスの成り立ちなどを語ってもらったが、今回は15周年を記念して、2005年の初開催からここ最近の「GREENROOM FESTIVAL」について、じっくりと振り返ってもらった。

都市型フェス「GREENROOM FESTIVAL」の人気の秘訣を主催者に聞いた!

GREENROOM CO.代表 釜萢直起氏

-まずは15周年おめでとうございます。過去にも何度かインタビューさせてもらっているので、今日は釜萢さん自身に「グリーンルーム・フェスティバル」の15年の歴史を振り返っていただきたいと思います。

意外と自分でも覚えていないことが多いかもしれないけど、よろしくお願いします(笑)。

-まずは2005年にはじまった「グリーンルーム・フェスティバル」ですが、開催のきっかけは前年に釜萢さん自身が参加したカリフォルニアの「ムーンシャイン・フェスティバル」ですよね。

「ムーンシャイン・フェスティバル」に参加して感銘を受けて、こういうことを日本でやりたくて、右も左も分からないまま、とにかく情熱だけでフェスを作ってみようと動き出したのがはじまりだね。

-グリーンルームという会社はあったけれど、会社としては初の音楽イベントだったと。

完全な初心者だったね。見て感動してそのまますぐ着手して、実質5ヶ月くらいで作ったのかな。ブッキングに関しても「ムーンシャイン・フェスティバル」を意識したラインナップを目指して、ジャック・ジョンソンとかザ・シンズとかを軸に考えていたけれど、何の実績もなかったので、案の定ブッキングには大苦戦だったなあ(笑)。

-初開催時にはトミー・ゲレロが出演していますが、もともとつながりがあったのですか?

もともとつながりはなくて、そのときに出会ったので、トミーとは15年の付き合いだね。当時からフェスのコンセプトに共感してくれて、出演してくれることになって。

-今年の15周年にも出演します。

初回はビザのこととかで、彼にはかなり迷惑もかけたけど、今でも日本に来たときはオフィスに遊びに来てくれるような良い関係で、本当に感謝してる。

-そんなトミー・ゲレロも出演した初回の「グリーンルーム・フェスティバル」って実際どんな感じだったのですか?

正直チケットの券売もあまりよくなかったし、天候も不安定で雪も降っていたりするような状況だったんだけど、開場前にお客さんが並んでいる姿を見たときは感動したね。

2005年初開催時のポスター

-当時は男性が多かったとお聞きしました。

8割くらいかな。湘南のサーファーとか東京のスケーターが多い感じで、その人たちの年齢層が結構高くって。あとは自分たちの 仲間がたくさん集まってくれたんだよね。

-今の「グリーンルーム・フェスティバル」とは全然違う雰囲気ですよね?

そうだね。もともとサーフブランドとかスケートブランドと仕事をしていて、そういった人たちに告知なんかも手伝ってもらったんだけど、音楽メディアは全然取り上げてくれなくて、そもそも門前払いって感じで。アート、フィルム、しかもサーフカルチャーをフェスで表現するということ自体があまり理解してもらえなかった。そんな状況だったからお客さんが並んでいる姿を見たときは本当に嬉しかったなあ。

-そういった状況はいつ頃から変わっていったのですか?

ライブが盛り上がるようになってきた頃かな。1回やって、2年目からは少しずつフェスの作り方とかも分かるようになって、それから徐々にって感じかな。

-ライブでいうと、2年目の2006年からブルー・キング・ブラウンが3年連続で出演となりました。

ブルー・キング・ブラウンは、オーストラリアのバンドなんだけど、普通にインフォみたいなところからコンタクトしたんだよね。もちろん日本に来たことはなかったし、まったく無名だったけれど、単純に彼らの音楽が大好きだったからヘッドライナーに抜擢して…。事前は結構不安だったんだけど、かなり良いライブで、フロアを沸かしてくれて。その頃から僕個人が完全にフェスに魅せられてしまって、もっとやりたいっていう気持ちが湧いてきたんだよね。

-会社としてもフェスを事業として拡大していくという方向になっていったんですか?

はじめは社員も、社長の道楽っていうか、何をやってるんだろうって感じだったのかもしれないけど(笑)。あと拡大というよりは、ずっと続けていくにはどうしたらいいかというのを考えるようになって。というのもフェスをやることで、直接ミュージシャン、ペインター、フォトグラファー、フィルマーとダイレクトにつながるようになって、商業アートとしてではなくて、純粋なアートの表現者と、かっこいいカルチャーを作って、日本の若い世代に伝えていくということに喜びを感じるようになっていった。

-今でこそフェスのコンテンツも多様化してきましたが、この時期に音楽以外のコンテンツを全面的に押し出していたフェスは少なかったように思います。

そうだね。一回目から音楽以外の匂いというか、全体的な雰囲気を伝えていきたいと思いが強かった。アートとか映画でチケットが売れるという状況は全然なかったから辛いところではあったけど、そういうものを全部パッケージで表現するっていうのは今でも変わらないかな。

2008年

-そういった初期の「グリーンルーム・フェスティバル」で釜萢さん的に印象的なライブなどはありますか?

さっき話したブルー・キング・ブラウンもしかり、初期に出てくれたアーティストには思い入れがあるかな。あと2007年にフェスから派生して「サーフロックトリップ」というスピンアウトのバスツアーみたいなのもやったのが楽しかったのを今思い出した(笑)。アーティストと一緒に横浜から出て、違う街にツアーして。その頃は一緒にバスに乗って日本中を回って。あとは大阪でもフェスをやったりしたり、初期はいろんなことを模索してながらって感じだった。

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