『夏フェス革命』著者・レジー氏が振り返る、フェスシーンの広がりと記憶に残る思い出 

―そして2000年、「ROCK IN JAPAN」の第一回でDragon Ashを観たそうですね。

「陽はまたのぼりくりかえす」の頃からDragon Ashを聴きはじめて、1999年に『Viva La Revolution』がリリースされるわけですが、僕はこのアルバムを本当によく聴いていたんですよ。ちょうど大学受験の年で、学校の行き帰りや塾に行くときに聴いていて。当時は『Viva La Revolution』と(Hi-STANDARDの)『MAKING THE ROAD』をよく聴いていました。その年に北海道で「RISING SUN ROCK FESTIVAL」がはじまって、でもこれもフジの一回目と同じで地理的な問題で行くことはできなくて。その翌年に同じような方向性のフェスが茨城ではじまると知って向かったのが「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」でした。僕は実家が千葉の松戸なので、常磐線で行けば結構近いな!と。と言いつつ、当事はお金の節約のために特急を使っていなかったから片道2時間、往復4時間かかるわけで、別に近くはないんですが(笑)。学生の頃はそれを連日続けて茨城に通っていたわけで、今考えると信じられないですね。そして初めてDragon Ashのライブを観たんですが、ライブであんなに泣いたのは後にも先にもないと思います。「Viva la revolution」のイントロが鳴りはじめたときに、色んなことを思い出してグッと来てしまって。

―当時、ワンマンのライブにもよく行っていましたか?

いや、そんなことはなかったです。高校生のときはお金もそんなにないし、年に何回か友達と行くぐらいで。「ライブに行く」こと自体がレアな体験だったと思います。当時はフェスもまだ特殊なものでしたよね。友達にも「フェスって何?」から説明しなければいけなかったし、今よりもワンマンと違う空気があった気がします。お客さんも「楽しんでやろう!」という気持ちが強くて、アーティストもその熱気に応えていくような雰囲気があって。

―僕もレジーさんの少し年下なので当時は学生で、「SUMMER SONIC」のような都市型フェスに行っていたんですが、あの頃のフェスは今よりもゆるい部分が多々ありましたよね。会場内に普通にアーティストが座っていて、初対面なのに何故か話し込んだりしたことがあったのを覚えています。

導線も今よりちゃんとしてなかったのかもしれないですよね。「ROCK IN JAPAN」もそうで、客席のすぐ横にアーティストがライブを観るスペースがあったりして。2003年の「ROCK IN JAPAN」で岡村靖幸が久しぶりにライブをやったときに、スガシカオやBUMP OF CHICKENの藤くん(藤原基央)がそこで観ていた記憶があります。そう考えると、今よりもすごくゆるかったのかもしれない(笑)。

―それ以降、フェスでの印象的な思い出というと、どんなものがありますか?

色々あるんですが、ロック・フェスティバルでJ-POP寄りのアーティストがライブをするときにグッとくることが多々ありました。2005年にMr. Childrenが「ROCK IN JAPAN」に出演して「終わりなき旅」のイントロが鳴った瞬間の「おおお……!!」という歓声が聞こえたときはすごく感動しました。そういう人たちが普段とは違う環境=フェスでライブをするという意味では、直近だとゴスペラーズもそうですね。あとは大学2年の頃、2001年に苗場でのフジロックに初めて行ったときはオアシスがヘッドライナーで、僕はそこに行けるように、そのタイミングに大学のテストがぶつからないような時間割を春の時点で組んだんです。このときは金曜日の1日券を買って、ひとりで新幹線で行きました。これも今考えると想像できないですけど、まだスマホもない時代にひとりで苗場に行って、朝から翌朝までウロウロしていましたね。当時はTwitterもないですから(笑)。朝一のKEMURIからヘッドライナーのオアシスまで観て、夜もいろんなDJを観たりして。

あと、去年ものすごく久しぶりにフジロックに行ったんですよ。小沢健二が出るし、久々に行ってみようと思って。妻と一緒に当時2歳半ぐらいの子供を連れて行きました。そうすると、またフェスの見え方が変わってくるのが面白かったです。ライブはほとんど観られなかったものの、そういう過ごし方をしても楽しいんだな、と。去年はかなり雨が降ったじゃないですか? そのときにテントで観ていたら、子供が「前で観たい」と言い出して前に行ったりもして。ちょうどグリーンでトータス松本や色々な人が参加していたセッション企画をやっていて、子供がそれを見ながら踊りまくっていました(笑)。家族で行くとまた違う楽しさが見えてきました。

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―同じフェスでも、過ごし方によって別物になるということですよね。フェスに行く中で、レジーさん自身が体験として「協奏」を感じた瞬間はありますか?

僕は基本的に「ライブを観に行く」ことが目的の人間なのでなかなか難しいですが、たとえば「ROCK IN JAPAN」に行くと、たまに明らかに連れられて来ている人がいますよね。そういう感じの人がグラスステージでのライブ中に後方スペースで寝ていたりしているのを見たりすると、フェスでの楽しみ方も多様化しているな、と感じます。しかも、フェスの主催者側がそういう人たちを排除しようとしているわけではない、というのがポイントだと思うんです。むしろそういう人たちでも楽しめるように変化してきたことが、今のフェスの形に繋がっているので。

―レジーさんのフェスの思い出の品のようなものを挙げるなら?

実は、僕はあまりグッズを買ったりはしないんですよ。でも、「ROCK IN JAPAN」に行ったりすると、Tシャツは買ったりしていて、2008年ぐらいにサッカーのユニフォームのようなデザインのTシャツが出始めたときは、サッカーが好きなのもあって買いましたね。ここに来る前に家の棚を見てみたら、2008年と2009年にデザイン違いのものを買っていて、実際に着たりもしていました。あと、僕は柏レイソルのファンなので、レイソルのタオルをフェスに持っていくことが多いです。サッカーのグッズをフェスに持ってくる人って、結構いるんですよ。たまにレイソルのグッズを持っている人を見かけると、「おっ」と思うし、フジロックにも「Jリーグ苗場支部」というサポーターの集まりのようなものがあるんですけど、去年のフジロックでは入場ゲートのところでレイソルのユニフォームを着ている人と目が合ったので少し話しをしたら、その人も「Jリーグ苗場支部」に参加している人でした。そうやって、音楽以外の繋がりも広がっていくという。

―それはまさに、レジーさんが本で書かれている「協奏」を象徴するエピソードなのかもしれないですね。フジロックに、本来は音楽に関係のないJリーグのサポーターの支部が出来る……。

そうですよね(笑)。どうやら他のフェスにもあるみたいですよ。

―これから行ってみたいフェスはありますか。たとえば、海外フェスはどうでしょう?

海外も行ってみたいですけどね……。コーチェラに行っている友達はいるんですが、その話を聞いていると、昔はもうちょっとインディ感があったはずのものが、いつの間にかスーパーセレブが集まるようなフェスになっていったのはどういうことなのかな、ということが個人的には気になります。なぜなんだろう、と。

―EDM系のフェスもそうですが、インスタ文化と共振したフェスのひとつかもしれないですね。また、コーチェラは動画配信を積極的にやっていますが、そういうものが進化していくと、フェスの形もまた変わっていくかもしれません。

テクノロジーの話をすると、今ってライブ・エンターテインメントで最新技術がどんどん使われ始めているので、そういうものがフェスにおいても発達していけば、また楽しみ方も変わってくるのかな、と個人的にも期待しているところですね。

―レジーさんは書籍の中でも、その際の住みわけについて書かれていましたね。実際にフェスの現場に向かう人々と、配信などで観る人とでは求めるものが違うので、その両方が必要とされる可能性は大いにあると思います。

実際のところ、誰もがずっとフェスに行けるわけではないと思うんですよ。環境が変わったり、時間の問題があったりと、色々と状況は変わっていくはずで。でも、そういう人たちもフェスというコンテンツを楽しみ続けられる状況になればいいなと思うので、そこにVRのような最新技術が寄与するといいんじゃないかなと感じます。やっぱり、何らかの形でずっとフェスを楽しめる時代になってほしいなと思うんですよ。でも、実際には周りの人がフェスを卒業していく瞬間もあるわけです。「大学生のときは、ロック・フェスに行ったな」というだけではなくて、フェスが幅広い世代の夏の楽しみのひとつとして長く存在していてほしいと思います。そのひとつとして、VRによって会場に行かなくても楽しめる可能性があるのかもしれないし、もっと家族連れやお年寄りが来られる/来やすいということを売りにしたフェスが出てくるのかもしれないですし。若い人たちだけの一時的な娯楽ではなくて、長く楽しめるものであってほしいというのは、いち音楽ファンとして思うことですね。

あと、最近思うのは、今回の書籍でも柴那典さんの記事や書籍を引用して書いていますが、若手バンドが大きなステージに出るようになる、遅い時間帯に出るようになる、という形で「フェスを勝ち上がっていく」、だから結果的に「タイムテーブルがヒットチャートになる」という構造は、やっぱりあまり健全じゃないのかもしれないなあということです。僕は、タイムテーブルはあくまでも「タイムテーブル」だと思っていて、「何時にどこで誰がやる」という以上の意味を持たされるべきではないと思うんですよ。もちろん、トリでやるバンドは大物のバンドで、小さいステージでやるバンドはこれから人気が出るような人たちで、というように自然となるはずですけど、それ以上の意味を持ってしまうと、やる方も見る方も楽しくないんじゃないかな、と思うんです。

―スロットが意味を持ちすぎて、逆に楽しみ方を制限してしまうことにもなるかもしれない。

そうですね。フェスで何が流行っているかを見るのは手っ取り早いので、なかなか代替案がないんだとは思いますけど、特に日本のロック・シーンでは、フェスに迎合しないリスニング・スタイルがもうちょっと出てきた方が、フェス自体を素直に楽しめるようになるのかなと。「あのバンド、去年はメインだったのに、今年はステージが小さくなっちゃったな」とか、そんなことって、たまたまな部分もあると思うので。そこにみんなが意味を持たせすぎたり、環境的に持たせざるをえない状況になっているのは、単純にちょっと窮屈だな、と思う部分があります。

―フェスがメディアとしての機能を持ちすぎたゆえに、アーティストの音楽性そのものがフェスを想定したものに変わっていくこともありますしね。そこに適応できない音楽も同等に楽しめる環境があれば、それがより豊かな音楽体験に繋がるかもしれません。

何でも偏ることはあまりよくない、ということで。強要はできませんが、日本の多くのリスナーが「フェスに依存しない音楽の楽しみ方」をもっと模索できるようになるといいのにな、とは個人的には思います。今回の本でもGoogleやAmazonの話に重ねていますが、プラットフォーマーが強くなりすぎることの弊害というのはやはりあると思うので。この手の話は海外だと「Spotifyとミュージシャンとリスナーの関係」みたいな形で顕在化していますし、とても現代的な課題だと思います。そういう意味でも、フェスというものは「時代の先を行く存在」なんだなと改めて感じます。

―レジーさんがフェスに感じた変化が、今回の書籍『夏フェス革命』になったと思うのですが、一方で今も変わらないと思うのはどんなところでしょうか?

やっぱり、フェスには現実から隔絶される感じがあると思っていて、リストバンドをつけてゲートをくぐると別世界に来たような気分になるという魅力を、僕はいまだに感じ続けているんです。それは1998年に初めてフジに行ったときに、「何だか来てはいけないところに来てしまったな」と思ったときからずっと変わっていないんですよね。ちなみに、今でも僕は、フェスに行ってもライブ中にはできるだけTwitterをしないようにしているんですよ。それは一旦そういうものからも離れたところで音楽を聴ける場所だっていうのを体感したいからで、電車の中でスマホで音楽を聴いているときとは違う体験だと思うんです。そういう部分は、フェスがこれからどんな状況になろうとも変わらないところだと思いますね。だからこそ、フェスの形が変わっていく中でも、僕はフェスに行き続けてきたんだと思いますし、それは何物にも代えがたいものなのかな、と思います。

最初に言っていただいたように、今回の本はできるだけ一歩引いて俯瞰した場所からファクトを集めて客観的にフェスの変化を紐解くことを意識したんですが、そこから毎年フェスに行っている人間の気持ちも、染み出しているようになればいいなとも思っていました。単なるビジネス書にしたかったわけではないですし、かといってユーザーとしての楽しい体験談を書きたかったわけでもなくて、その両方が上手く重なるようなものにしたいと思っていたんです。

―だからこそ、書き出しがレジーさん自身のフェスの体験談になっていたのですね。

そうですね。担当編集者のアドバイスもあったんですが、だからそういう構造になったのかなと思います。

Interview/Text:杉山仁

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