フェスの“お祭り番長”・KEYTALKが語る、フェスがなくてはならない場所になった理由

長年に渡って全国のフェスをサポートし続けてきたPOCARI SWEATとFestival Lifeが今年の夏フェスシーズンを盛り上げるべくコラボ企画を展開中。7月からスタートした本企画ではこれまで「京都大作戦2021~中止はもう勘弁してくだ祭(マジで)~」と「FUJI ROCK FESTIVAL‘21」の会場レポート&来場者スナップを行ってきたが、今回は特別企画としてこれまで数多くのフェスに出演し、会場を盛り上げてきた4ピースバンド・KEYTALKにインタビューを実施。

フェスのお祭り番長として、夏フェスに欠かせない存在となったKEYTALKのメンバーに、初めて行ったフェスや印象的なフェスのエピソードなど、フェスにまつわる話を聞きました。サコッシュやポンチョといったポカリスエットのオリジナルフェスグッズを手に、キンキンに冷えたポカリスエットを飲むことで、フェス会場を思い出させたのか、非常に盛り上がるインタビューとなりました。(Text / Interview:峯岸 利恵)

INTERVIEW:KEYTALK

(左から)首藤義勝(Vo/Ba)、八木優樹(Dr/Cho)、寺中友将(Vo/Gt)、小野武正(Gt/MC/Cho)

―皆さんが、オーディエンスとして最初に遊びに行ったフェスって何ですか?

小野武正(Gt/MC/Cho):僕は、大学1年生の時に行った「COUNTDOWN JAPAN」ですね。そこから4年間、毎年行ってました。

八木優樹(Dr/Cho):2007年の「SUMMER SONIC」(サマソニ)です。ヘッドライナーがArctic Monkeysで、その頃よく聴いていたので、遊びに行きました。

首藤義勝(Vo/Ba):僕も「SUMMER SONIC」ですね。2005年だったんですけど、ヘッドライナーがOASISとNINE INCH NAILSで、両日参加。でも、宿は取っていなかったので、幕張メッセの床で友達と寝ました(笑)。OASISで大合唱して、いい思い出になりましたね。

寺中友将(Vo/Gt):僕は個人的にフェスに遊びに行ったことがなかったんですよ。

―では、寺中さんはKEYTALKとしてフェスに出たことが初めてだったんですね。夏フェスとしては、2012年の「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2012 in EZO」が初出演だったと思うのですが、印象的な想い出はありますか?

八木:僕たちのバンド名は、ジャズ・ピアニストの上原ひろみさんの楽曲「Keytalk」が由来なんですけど、その時に本人にご挨拶して事後承諾を頂いたことですね。すごく優しくて、むしろ使ってくれてありがとうと言って頂きました。でもその時に、「鍵盤の人はいるの?」と聞かれて……。

小野:いないっていうね(笑)。

八木:そうそう(笑)。あとは、会場についた時にPerfumeさんがライブをしていて、それを聴きながらめちゃくちゃワクワクしたことも覚えています。

寺中:バックステージも初めてでしたし、かなりパンチがありましたね。どこにいても一日中、音楽が鳴っているし、ずっと気持ち良かったです。北海道ということで気候も良くて、ずっと音楽に酔っている感覚でした。

首藤:うんうん、出演者も大御所から新人までいるからこその新鮮さもあったよね。

―KEYTALKはそれ以降、毎年のように様々なフェスに出演されてきたと思いますが、特に印象的だったフェスやエピソードはありますか?

寺中:僕は「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2018」で、初めてGRASS STAGEに立たせてもらった時のことが忘れられないですね。何年も出演させてもらったフェスの憧れのステージでしたし、当時はかなり緊張しました。ライブハウスでライブをするときの緊張感とはまた違う、究極の対バンイベントでの緊張感というか。僕らのことを知らない方も見てくれるのがフェスだと思いますしね。あと、お客さんの動きが客席の奥に向かって波のようにうねっていく景色を目の当たりにして、その時に“音”を見たような気がしました。

小野:僕は、「WILD BUNCH FEST.」で巨匠(寺中のあだ名)が海に飛び込んだことですね。

寺中:ははは!あったね(笑)。

小野:最後の曲でギターを掻き鳴らしている時に、巨匠が海に向かって走り出してね(笑)。あれ?帰ってくるのかな?と思いながら、ずっとギターをジャカジャカ鳴らして待っているっていう。ステージと海が意外と遠かったから帰って来るまでに時間がかかってたよね(笑)。

―ははは!夏らしい話ですね(笑)。首藤さんと八木さんはどうですか?

首藤:僕は、04 Limited Sazabysが主催している「YON FES」ですね。同い年として切磋琢磨してきた仲間が巨大なフェスを作っていて、“フェスに出る”だけではなく“フェスを自分たちで作る”という発想に至った彼らに尊敬の念を抱きました。僕らの世代って、フェス文化の発展と共に育ってきた人たちだと思いますし、フェスに対する想いを強く持っていると思うんです。だからこそ色々と考えさせられましたし、よりフェスに真摯に向き合えるきっかけになったようにも思います。

八木:僕は「COMING KOBE」に初めて出た時に、お客さんの熱狂というものを初体感したんです。それまで僕たちのライブはワイワイ盛り上がるような感じではなかったんですけど、あの日を境に意識が変わった気がしました。

―その意識変化が、以降に作られた楽曲に対する意識変化にも繋がった実感はありますか?

八木:そうですね。目の前の人に音を飛ばすという意識が強くなりましたし、お客さんが楽しめる曲へ変化していったきっかけにもなったように思います。

寺中:「トラベリング」という楽曲を演奏した時に、お客さんがめちゃくちゃ盛り上がってくれたんです。その時は僕らもすごく楽しかったし、かなり刺激を受けました。当時は色んな楽曲を試している時期でもあったので、皆でこれからは「トラベリング」のような盛り上がる曲を作っていこう、というひとつの指針が見えたきっかけでもありましたね。

―フェスでの経験がバンドの方針を固めるひとつのきっかけにもなるんですね。ツアーライブなど、ライブハウスでのライブとはまた違うフェスの醍醐味はありますか?

小野:新しい出会いがある、というのが一番だと思います。自分も、大学生の時にフェスに行ったことで出会って好きになったアーティストってめちゃくちゃいるんです。演者としても新しいお客さんと出会えますし、出るたびに良い場所だなぁと思います。

八木:フェスって、ステージのフロアじゃないところで休憩しながらライブを観ることができるじゃないですか?僕はあの時の何ともいえない時間の流れ方が好きなんですよね。自由だなって。

首藤:音楽が好きという共通の目的を持った人だけが集まっているからこそのグルーヴがありますよね。そういう仲間感というか、共通意識を持った人たちと同じ音を浴びて過ごすというあの特別感は、フェスに行って初めて感じたような気がします。

小野:僕らのことをフェスでしか観ないという方もいると思うので、そういう意味でもライブハウスでのワンマンや対バンイベントとは違うモチベーションといいますか、セットリストやライブの魅せ方に対する意識は異なりますね。

―セットリストを組む上では、どういったところに気を付けていますか?

小野:MVをYouTubeにアップしている曲や、知名度の高い曲を外さないようにしつつも、最新系の自分たちのモードを見せられるような組み方をするようにしています。

寺中:あと、ワンマンでは絶対にできないようなペースでかっ飛ばしていますね。フェスでのライブは勢いが一番大事だと思うので。

八木:確かに、ワンマンと変わらないような疲れ方をするよね。

―KEYTALKの皆さんが直射日光を浴びながらライブをしている姿を何度も観てきましたが、夏フェスだとその辺りも過酷そうですよね。

寺中:確かに時間帯やステージの向きによってはかなりキツい時もありますけど、お客さんの方が絶対キツいです(笑)。

八木:「YON FES」に出演した時に、ドラムを04 Limited SazabysのKOUHEIに叩いてもらって、自分は客席の方に降りてライブを観させてもらったことがあるんですけど、マジで息ができませんでした。

寺中:靴なくなったしね。

八木:そうそう!最前列のほうで揉みくちゃになって、めちゃくちゃキツかったです。

首藤:ていうか、俺らって直射日光を浴びながらライブをする確率高いよね?

寺中:一発目とか真昼間とか、そういう時間帯が多いね。KEYTALKで始まり、サカナクションで終わるフェスが多い。

一同:ははは!

八木:それ、めちゃくちゃあるね(笑)。

次ページ
コロナ禍のフェスへの思い

1 2